— 関係系図 —
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「芝居番付」(クリックで拡大)
岡安喜三郎代々
●初代
士族で江戸の旗本といわれ、岡安流を興す際、家康公の出身地である岡崎の「岡」と、家康の「康」を合わせて「岡康」とするが、同じ字だと畏れ多いという事で「岡安」とした(諸説あり)
●三代目
二代目富士田音蔵、三代目芳村伊十郎(後二代目吉住小三郎)と共に【天保の三名人】といわれ、江戸の河原崎座で初演された「勧進帳」の〽人目の関〜を唄い、一世を風靡する
●四代目
十二代杵屋六左衛門に師事し、当初は唄方だったが後に三味線方に転向する
多くの作曲をし、代表曲に「桃太郎宝の山入り」「大和武尊」「梅暦 花の魁」「東の月」「猩猩 愛(めで)の盃」
●六代目
若くして三味線の名人といわれるが、惜しまれながら夭折する
「田村屋敷」「旅ゆかば」「歌麿」「千社札」など作曲
六世 岡安 喜代八
三世 岡安 茂登
六世 岡安喜代八
©︎六世 岡安喜代八
昭和9年8月15日 東京生まれ
4歳の時、【宝船】で初舞台を踏む
20歳の時、プロの演奏家として活動開始。当時の芸名は岡安喜三太郎
昭和40年岡安流分家家元・六世岡安喜代八を襲名
昭和49年皇居内にて御前演奏をつとめる
分家家元、岡安会理事として喜三郎本家と共に岡安を支える傍ら、後進の育成にも熱心で都立高校で三味線を中心とした伝統邦楽を指導していた
豊島区邦楽連盟、初代理事長
令和2年没
三世 岡安茂登
昭和10年8月7日 東京生まれ
幼い頃より日舞、三味線の手ほどきを受け、後に義父となる稀音家三郎に師事
昭和40年に分家家元六世喜代八と結婚。三世岡安茂登を襲名する
義母、三世岡安南甫(なんぽ)と共に様々な舞台に出演、南甫の引退後は岡安女流三味線方の中心人物として活躍する
現在も多くの人が伝統文化に触れてほしいとの思いで指導を続けている
一般社団法人長唄協会会員・岡安流理事